荒れ小屋

ごめんなさい

20130925架空の日記

 雨が降っていたことと、夜ふかしをしていたせいで、今日は一歩も外に出ることがなかった。朝も昼も何も食べず、晩飯をようやくとったが、今度は腹を下してしまい苦しんでいる。


 必要な申請を済ませ一息ついたが、必要以上に体力を使った気がする。うまくいくといいのだが…。

 

 10月の頭に日本に帰り、またそこでの生活が始まる。同年代が仕事をしていたり、仕事を得ようとしている姿を見ているうちに、このままでいいのだろうかという思いが湧き上がる。

 

 今日、自動車製造業の期間従業員に関する話題を目にした。最近、体が弱くなってきた自分にも務まるだろうか。

 

 小学生、中学生の頃は、親戚(のちに父が引き継いだ)の生花店の手伝いをしたりした。(中学生になってからは、反抗期と部活動のせいで以前より手伝う頻度が減ってきた。なお、高校1年のころにその生花店は廃業した。)花の入ったバケツの水の臭さと、慣れない商売によって日に日に蓄えと体力と、その他諸々の余裕をすり減らしていく両親の姿、絶え間無い口論、徐々に苦しくなる生活、そんな思い出しかない。

 

 高校1年の冬休みには、郵便局の年賀状配達のバイトをした。原則アルバイト禁止の高校であったため、出来るアルバイトといえば配達ものしかなかったのだと思う。年末のある日、郵便局のジャンパーを羽織り、ハガキ類の入った重たい前かごと後ろかごのせいでふらふらしながら自転車を漕いでいた時、同じ高校の同級生たちの遊んでいる姿をみかけた。イトーヨーカドーの近くだった。このときは、なぜ自分はわざわざこの時期に労働しなければならないのだと、自分からその仕事を始めたくせに、悲しく思ってしまった。アルバイトをはじめた経緯は覚えていない。廃業した実家のことも関係してくるのかもしれないが、単なる小遣い稼ぎだったのだろう。他に覚えていることと言えば、上司のお兄さんに「将来何になりたい。」と聞かれた時、「東京に行きたい。(任意の職業名)になりたい。」と答えたら、「夢なんて追わない方がいいよ。」と言われたことだ。今、その言葉の意味をなんとなくわかりはじめている。

 

 大学2年から卒業までは個人指導の塾講師をやった。大学で開かれるシンポジウムの手伝いや、選挙関係の事務バイトをしたことがある。大学で、労働と仕事と活動とを分けた誰かの議論に接したかもしれない。そんなこと言われてもよくわからないし、今ではもう覚えていない。とりあえず自分は、生きていくために必要なお金を稼ぐ、学費を稼ぐ、遊興費を稼ぐ。目的がなんであれ、稼いで払うという行為を繰り返して生きている屍であり続けるしかない。何かの講義で共同発表した時のこと、題材が「若者の労働問題」だった班があった。(私は違う題材だった。)班の知り合いに対して思ったのは、このなかの誰が、私が野垂れ死にしそうな時に助けてくれるのだろうかという自分の「身勝手」な希望だった。おそらく誰も助けてくれないだろう。

 

 就職活動ともまったく関わらなかった。就職活動をしたところで、意味もなく苦しむのが見えていたから逃げたのだ。ツケを払うときはどのみちやってくる。毎日快便できるような生活ではない。後悔と便秘と下痢を繰り返し、ゆっくり衰弱していく道に迷い込んだのかもしれない。

 

(加筆(2017/1/7):元ブログでのタイトル「【日記】【文献メモ】労働の思い出 なお文献表は削除した。)

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