荒れ小屋

ごめんなさい

20131006架空の日記

 抑圧を基にして創りだされた文明や文化に対して憧れることができない。それらがマテリアルな文化であれ、精神的な文化であれ…。

 

 「ある国で過ごした。ここの人々は(日本よりも)人間らしい暮らしをしている。」という発言をどこかで見かけた。これはもしかしたら自分の虚妄かもしれない。この場合、本当にそこの国の人々は「人間らしい」暮らしをしているのだろうか。それぞれに辛いことや悲しいことがあり、それでも生きていかなければならない状況で、どこそこの国に住んでいるから「人間らしい」と言うことが出来るのだろうか。よくわからない。

 

 人、土地、人と土地に蓄えられた資本、蓄えられた資本が支える文化、それに対抗する営みとしての文化、目に見えるところは違っても、機能的なものは同じのような気がする。もちろん、それぞれの土地、「国」、地域に特有の条件が備わっているにしても。

 

 ずいぶん間違ったことを書いているかもしれない。ただ、日本に帰ってきた今、ブログを書きだした頃に投稿した疑念をもう一度確認しておきたかった。

 

(加筆(2017/1/7):元ブログでのタイトル「【日記】場と不安 2」

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