荒れ小屋

ごめんなさい

20140502架空の日記

・生活のなかで、思いついたことや見聞きしたことを、なんとか形に残しておこうと、何か考えた時に思うのだけど、結局保存出来ずにどこかにいってしまう。自分にとってはそれほど大切なものではないのだろう。
 
・労働で、広報誌に載っている教職員の訃報記事をチェックすることがある。普通目にする訃報記事の構成は、①いついつ亡くなった ②経歴アレコレ(学歴・職歴・功績) ③哀悼の意 って感じなのだけど、今日目にしたものは、テンプレートとはだいぶかけ離れた訃報記事だった。
 まとめてしまえば、苦学と勤勉と大病の末に夭折してしまった職員に対して、同僚が(上記の三要素を含めた形でなおかつ)形式を超えた感情をその場に表していた。これは友情であり、悔恨であり、弔辞であり、恐らく、この氏の生きた証をなんとか残そうとした、そういう意図をとりあえず、こちらは汲むのである。日々の業務のなかで、教員はなるほど晴々しい活躍を見せるけれども、おそらく技官や助手やその他の補助業務に携わる者の、どの程度の活躍が目に見えるものになるのだろう。ある種の階層構造、分業構造になっている巨大な機構のなかで、互いにいたわりや優しさを、称賛を…そういうことを言いたいわけではなくて、とにかく形式ばった定型文で埋められていく哀悼の場で、どれだけ抑えようとしても抑え切れない失意の蠢きが、愛に他ならないのだと思った。

・宗教学の研究室にお邪魔したのだけど、そこに置いてあった本を一冊もらってきた。たまにこういうこともある。

 

(加筆(2017/1/7):元ブログでのタイトル「【不定期日報】2014/5/2(金)」)