荒れ小屋

ごめんなさい

20160130架空の日記

・最近つらかったことだけを記す。1月の第一週は論文の書き直しとセミナーの報告で潰れ、それから二週目にかけて新年会等が続く。14日から20日まで帰省だった。
帰省の度に荒れ果てていく実家を見ながら、自分にはどうにも出来ずまたその場をあとにする。せめて家の周りの雑草くらい抜けばよかったと思う。
よく行っていたショッピングセンターが潰れ、新しい複合型ショッピングセンターが出来ていた。中学校近くの道路が拡張していた。取り壊されて新しくなる建物が増える。自分が見た景色が失われていく。
親との話が微妙に噛み合わない。自分と親では記憶が違う。思い出し話題に出す過去のどこに力点を置くかが違う。当たり前だが、親と自分は違う人間だ。

実家をあとにし、母親と母方の祖父母の実家へと向かった。離島で暮らす祖母は歩くこともままならず、静かにベッドで横になっている。私の存在に気づくことはなく、食事の席で私だけが気不味さを感じる。主に世話をする叔母も、母親も、自分の親にやさしくやさしく話しかける。頻繁に彼女たちの存在を老女に確認させようと試みるが、反応はほとんど無い。祖父の遺影の横にある祖父母の写った写真立てには笑顔が浮かんでいた。

島を離れる前日、母親に連れられて島を一周した。うらぶれた港町を横目に、親が過ごした日々の断片を生返事で聞く。残された時間が少ないと感じる。運転免許を持っていない私は、いつまで彼女の助手席に座りながら、脈絡無く放り出されるその人の話を聞くことが出来るのだろうか。

新幹線から途中下車をする母親を見送り、日々の仕事に戻る。それからの週は会議や研究会の資料作りに追われた。たいした仕事ではないのに気が滅入る。
そうこうしている内に論文の審査結果が送られてきた。不採択であった。丁寧な査読をされた分、実力の無さが思い知らされてつらい。この一年は何だったのか。
これから何の業績も残せない日々が続くのだとしたら?それも年単位で。あまり考えたくない。