荒れ小屋

ごめんなさい

20160226架空の日記

・2月の一週間ほどは、副専攻の研修の準備と研修本番で潰れてしまった。

加えて、研修から帰ってから2日ほどやる気が出ず。ここ一年で気づいたのは、長距離の移動に自分が耐えられないということだった。別のところでも呟いたが、新幹線から降りるとしばしば頭痛がする。

研修自体は自分にとってするべきこと、出来そうなこと、絵に描いた餅がいくつか発見出来たように思う。

研修に同行した他のメンバーとはあまり会話が出来なかった。体調不良でコンパに参加出来なかったこと、どうしても他人と壁をつくってしまうありふれたあぶれ者の性格といろいろあるけれど、一番キツかったのは「会話があわない」ということ。

自分の教養弱者ぶり(特に音楽の経験)をこれほど痛感したのは久しぶりだったかもしれない。貧困の経験/経験の貧困でまたもや苦しむことになるとは……。

 

・最近見た映画について。

『オデッセイ』:科学の力はすごい。3Dメガネの装着に慣れなかった。

別の所で呟いたが、化学や情報工学、物理学者には、堆肥で芋を育てることが出来るのだろうか?植物学が真の学問・科学かどうかという問題に対してコメントは出来ないが、相当程度に「役に立つ」ことは「実証」出来ているのではないか、と思った。

 

『劇場版selector』:最初のルミとサチとのやり取りとか、エピローグ部分だけでも個人的には元をとった気でいる。実は、二期でまだ見ていない回もあり、少しついていけるか不安だった(し、やっぱりどこが新規なのか判然としないところも実際あった)。エピソードをルミ・ウリスに焦点を当てて再構成している。ちょっと憎悪むき出しにしすぎなセリフ回しにうまく乗れない感覚もあり(勢いで押し切るような)、若干つらいところもあった。それは、総集編自体の(切っても切れない)ブツ切り感を頭の中で処理しきれないままにパワーワードをぶつけられるから、余計に混乱してしまうせいなのかな、と思った。

この作品は、いわゆるまともそうな「大人」を意図的かそうでないかはわからないけれど画面から排除している気もした。というか、今これを書いている時にあまりルミの親?の顔もイオナ(ウリス)に「気持ち悪い」と言って走り去ったおじさんの顔も思い出せない……。るう子のおばあちゃんもちょっと出てきたくらい。るう子も家族関係には難有り(母親との関係)だし、登場人物の背景が割と重い。

 

『同級生』:爽やかなシチュエーションでねっとりとしたキスを見せつけられる美しい連作集。このようなジャンルの作品、比べるのは良いかわからないが、たまに純情ロマンチカ(3期)を見ていたこともあり(?関係あるかはわからないが)、設定自体に感じる違和感は無かった。

ただ、男一人でこの作品を見るのは、(周りの観客がほとんど女性だったという意味で)なんとなく居心地が悪かった。スクリーンに映し出される男性と、今ここで鑑賞している僕は同じ性なのかと考えるともやもやとして、申し訳無い気持ちになった。

なぜこんなにスタイルが良いの…肌白いの…首筋…etc

鑑賞後に「DVD鑑賞会して、シーンごとに一時停止して実況したい」と他の観客の方が言い合う程の力を持つ作品。

 

『KING OF PRISM』:思わせぶりなエンディング……。ぜひ続編をお願いしたい。

スピンオフ作品としてこういう展開をして、なおかつ評判になるのは、そもそも4クール分の因縁という土台や骨組みがあったからこそ(もっと言えば第一作から3年分)なのかという気がする。

応援上映の影響かどうかはわからないが、一般上映でも終始笑い声が漏れ聞こえたり、上映終了後に拍手が起きたり、普通の映画鑑賞とは違った経験になったかもしれない。

ある程度場の空気がつくりだされているところがあり、許容されたのかな。

なんというか、面白かったし、それぞれのプリズムショーに力を感じる。だけど、これもパターン化していくと飽きられちゃうのかな?とも思ったりする。

 

・月末は研究会・読書会が連続しているので、少しつらい。研究会で人に会っておぼつかないながらもレジュメを切ったり議論したりしないと干からびてしまうが、一方で一ヶ月研究会の準備も何もせずに、自分の作業だけに取り組みたいという気持ちもある。さじ加減が難しい。

最近作業をしていて思ったのは、やはり訳書を読む時は訳者のクセに気をつけないといけないということ。

例えば、Aという人の著作が5つあって、それぞれ別の人が翻訳しているとする。すると、5人以上の訳者の語の選定や文体といった要素に戸惑いながら、Aの書いていることを考えることになる。もちろん、ブックガイドとして訳書を使い、考えを知ることは重要で、それぞれの訳者の仕事には敬意を払わねばならない。だけど、Aという人の言っていることから何か論を導こうと思ったら、いわゆる原書を読んで、A vs 自分という形でモノを考えなければ意味が無い。そんな当たり前?のことを改めて感じた次第。

口を酸っぱくして、人が原書主義を唱えるのは、結局その方が遠回りに見えて効率が良いからなのかな、とも思う。もっとも自分は語学が出来ないので、一日に出来る作業が本当に雀の涙……。

広告を非表示にする