荒れ小屋

ごめんなさい

20151020架空の日記

・〆切前ということもあり、だいぶナーバスになっている。

自分より優れた人があれこれやっているのを見ると何をやっているのか…という気分になる。ハッカドールのOPだけ見続けて余生を過ごしたい。

先は長い、続けていれば、生きていれば良いことがあると言い聞かせても、今この時点の苦しみに耐え切るだけの余力が無い。

方向感覚を失いかけていること、自分の作業にほんとうのところ自分自身が意義を見出だせていないのではないかという疑念、とはいえ他にやりたいことや解決すべき問いが見出だせないこと、所詮は学部生の延長線上でしかないのではという不安、

とにかく情緒が落ち着いていない時の典型例というか、結構きついものがある。

まず、朝起きることが出来なくなる、研究室に足が向かなくなる、講義に出られなくなる、家にいても作業中のファイルを開くことが出来なくなる、本や論文が開けなくなる…無気力さの典型例。

一挙に問題を解決しようとせず、書けそうな箇所から潰していくしかない。〆切まで残り10日。

 

・留学生の研究生が無事願書を出すことが出来たそうだ。多少なりとも助言や添削が功を奏するなら幸い。

 

 

 

 

 

 

 

 

20151017架空の日記

・以前読んだ論文を再訪する際、いかに自分が最初にその論文を読んだ時に理解や把握をしていなかったかに気付かされる。
目を通す際の関心によっては読み飛ばしている節もある。情けない話であるが、語学も不得意で、調べつつ読むことをあきらめてしまう日もある。
それでも、いざ自分の作業のために読みなおしてみると、やはり発見がありうれしく思う。もちろん、事実発見的な話ではなく、論点をようやく把握できた(できそう)という意味であるが。
本来なら最短コースで要所を押さえた読解をしたいが、なかなかうまくいく気配がない。ただ、こういう小さな落穂拾いを続けていかないと、もはや急激な成長が望めなくなった今、本当に何もなくなってしまう。
そのためには、わからなくてもメモをとるしかない。テキストメモに、章・節・段落ごとのキーワードレベルでもいいから、読んだ記憶を残しておいて、あとで戻ってくる作業を地道に続けるしかない。
そして、回り道かもしれないと思っていた読書の記憶も、効果があると思う。(少なくとも、今日の作業においては。)道草の際、凝り固まったままモノを見る作業をする時と違う頭の使い方(雑な表現)をする。例えば、なんとなく履修したゼミで文献を読む際、正直自分の作業の時ほど根を詰めているわけではない。もちろん、レジュメを切ったり、教員の説明をメモにとったり、そのような作業はするけれども、陳腐な言い方をすれば、追い込み中の視野狭窄にはなっていない。そんな気がする。その場で馴染ませるように把握した枠組みや考えの仕組み、概念の布置連関が、もちろんいつ活用されるかはわからない。しかし、迅速なインプット・アウトプットの勉強が人より苦手であれば、こういう方法で戦略を立てるしかない。
もちろん、体系立ってない知識の断片ばかりを詰め込んでもどうしようもない局面が作業中に出てくるし、そこが勝負をかけるところだと思う。思いつきの関連性の羅列になってはいけないから、そこは根拠づけを頑張らないと、と根性論的に思ってしまう。この勝負、負け続けている気がする。

 

・先週、別々の講義で、過去の歴史的文脈を把握する難しさを思った。予想する以上に難しい作業だと思う。当時の常識や共通理解とされている言説を同定する基礎作業を続けること。その編成・ネットワークがうねる様を総体として描くことは難しい。激しいうねりの一部を焦点化し、切り取ることもとても大きな作業のように思える。少なくとも、オチが決まっているような話をすることはできない。つまり、○○化のような枠組み優先の話で何かを照合する作業の利点と、不利益を被る局面はどこなのか。

 

20151014架空の日記

・毎日なかなかうまくいかない。生活や仕事のリズムをつくることに身体が拒否を示している。今日は(も)最低限の作業だけして、残りの時間は呆けている。
この前の土曜日にゼミの報告があり、異分野(自然科学系)の方から手厳しい、しかし至極まっとうなコメントをもらい、何気にショックだったのかもしれない。
「その研究報告は、分野の中では意義があるのかもしれないが、異分野が集まっている中でその報告をする意義は何か。」
概ねこのようなコメントだったように思う。気をつけようと思っていた点が結局ダメな形で出てしまった。

・研究室に9月から在籍している研究生(留学生)の研究相談に付き合った。
自分自身、ケーススタディの研究をしているわけではなく、形式や構成、書き方に関する最低限のコメントしか出来なかったように思う。(もっともそれも正直自信が無い。)事例からどうインプリケーションを引き出すか難しいと思う。
仮の話だけれど、これから他人の研究相談にのることが増えたとして、不安しかない。このように不安ばかり感じていたら、そもそも人が他人を任せようとは考えないと思うが。
同時に、自分が仮にどこかに留学するとして、ちゃんとやっていける自信も無い。

(行ってみて、トライアンドエラーだとはとても思えない。やっていける人はやっていけるからやっていけるのではないか。ああ、親と自分の年齢を考えると、ギリギリの決断を迫られるかもしれない。それにしても準備は足りないし、別に具体的な話が立ち上がるわけではない。)

さすがにこういう不安や、不安そうな態度は他人に見せないように気をつけたいと思う。

 

・種を蒔いても収穫に時間がかかる場合があるし、その時間に耐えるだけの根気や熱意が日に日に失われている気がする。
(一番大事なのはなんだかんだで資本だとしても。)
研究室に行くのが億劫になりつつある。

 

・学会報告で配布する資料がかさばるタイプで、参考文献表を含めてA4の12枚かかった。A3の印刷で一部60円、30部印刷したら1800円。
学会参加にはお金がかかる。
・学会年会費の納入
・学会参加費の納入
・学会開催地までの交通費、宿泊費
・懇親会(正式なものでなくても、知り合いに会ってご飯に行くことはある。)
・資料印刷代

報告に対するコメントや、他の研究者との交流、抜き刷りや情報の交換というのは、上記の諸々の出費のおかげで手に入れることが出来るのかもしれない。

 

20140508架空の日記

・頭痛がする中、作業を進めようと思っても、何をどう進めればいいかわからない状況で、余計に頭の中と部屋の中が散らかるばかりだった。あと二週間くらいはこんな感じの徒労が続く。とにかく、今までやってきたことの再構成と意義付け。今日は書類に載せる図の案も考えた。

 

GJ部@を見た。彼らの物語を、名前で呼ぶようになったキョロと部長の関係をこれからも定点観測したい気持ちに駆られるけれど、それはもう叶わないのかなと思うと少し悲しい。全話通してみて、中毒性があると周囲でよく言われるのは、ずっとあの部室で事が進む(もちろん外に出かけるシーンもあるけれど)ことに起因する幻覚か、吊り橋効果みたいなものなのかなと思った。反復のトリップは、視点だけに限らず、同じようなシチュエーションもそうなのだろう。森さんをまわしてみたり、新入部員を拉致してみたり、グルーミングしてみたり、噛み付いてみたり…他愛も無い会話とじゃれあいが永遠に続きそうで続かないから、彼らはそれを伝統だなんて呼んだりするのかもしれない。彼ら自身の楽しみ方はそこで潰えても、彼ら以外の誰かがそこでまた他愛も無い関係を繰り返すのだから。固定されたあの空間に密度の高い関係性が配置されていたということがすぐれて学校らしいのかもしれないと思った。

 

・エスカ&ロジーのアトリエ5話を見た。この世界に、製薬業界の利権ドロドロが絡んできたら大変そうだと思った。古典語が出来ないと製薬が出来ないという設定が面白い。文理で分断されてしまった(僕の知っている)お勉強の世界を考えると、すごく学際的?いや、どんな科学においても語学が出来ないとしょうがないのか。進捗を聞くシーンは胃が痛くなる。

 

ご注文はうさぎですか?5話。ずいぶんお色気度もギャグ度も高い、テンションの高いアニメなんだな。

 

アイカツ!81話。レズ回。

 

・アニメばかり見ててよくないと思うのだけど、それくらいしか本当に楽しみがない。

(加筆(2017/1/7):元ブログでのタイトル「【不定期日報】2014/5/8(木)」)

20140507架空の日記

・連休中はあまり連休中という感じがせず、基本的に部屋で作業しながら過ごしていた。しかし、あまり捗らなかった。結構しんどい状況になっている。捗らない時はひたすら写経をした方が良いと風の噂で聞いたけれど、効果あるのだろうか。
 作業が滞ることで、他人に被害は特段無いのだけど、他人からの信頼というか、そういうものは削られていく。下馬評なんかあるとしたら、元々そんなに期待はされていないのだけれど。

 

ソウルイーターノット!の5話を見た。ふくれ顔とか、百合百合とかあざといよなあ。それにしても、いつからプール掃除は青春の1ページの代名詞になったのだろう。実際やってみたら、疲労困憊できゃっきゃうふふどころでは無い気がする。(ブラシで長時間擦って、腕が筋肉痛になりそう。)
 肉体労働だからこそ余計に、魔女に中抜きされたお駄賃(賃金)に文句を言いたくなるってものですな。今期ボンズはノットもチャイカちゃんも自分の好み。(「好み」という言葉以外で自分の好みを語ろう。)

 

ルサンチマンイデオロギーにあふれた論争を見る度に、部外者だから何にそんなに熱くなっているのかがよくわからない。自分の立場はどこか、その立場にいることで生じる利害はなにか、そのなかで利/害と自分の主張がどのように整合するのか(イヤイヤながらやってる場合だってあるよね、的な)、そのあたりがよくわかっていないともやもやするばかりである。もっと色々検討した方がいいことはあるのだろうけど…。そもそも、ここで適当に使った立場や利害や主張というふわっとした言葉が、概念的にどう関係するのか…。(また、別のテクニカルタームで表すとするとどうなるのか…。)
 適当に思いついたことを、あとからちゃんと調べてまとめる時間が無い…。

 

(加筆(2017/1/7):元ブログでのタイトル「【不定期日報】2014/5/7(水)」

なお、最後に二行を諸事情につき削除)

20140505架空の日記

■朝、大きい地震があった。自分の部屋で、本の落下に巻き込まれずに済む場所を考えると、デスク周辺しか無い気がしている。寝る時もデスクに突っ伏して寝れば問題が無いのでは。
 といってもそれほど蔵書があるわけではないのだけど…。

 

ブラック・ブレットの2話で、呪われた子のうちの一人が警官に無残に殺されかけるシーンがあり、やはり胸くそが悪くなったのだけど、今度の4話で、ガストレア化が進む夏世を蓮太郎が射殺したシーンというのは2話のその場面の反復だったのかなと思った。印象に残りやすい場面だから、僕自身がそこくらいしか思い出せないという気もするけれど。
 2話とは違い、せめてもの救いは、夏世と蓮太郎との間に(つかの間の)信頼があったということなのかもしれない。ヘタしたら、ガストレア化の進む延珠ちゃんを蓮太郎がその手で…ということも考えられなくもないのかな。
 GUNSLINGER GIRLや、禁書目録/超電磁砲の妹達の想像力の延長線上にあるのかな。

 

(5/9追記)そういえば、主人公は2話で延珠ちゃんに説得されてようやくその子を助けに向かったのだ。結果的に、彼がそこにいたからなんとか助かったという状況がある。

 

不安定な情勢、何をしてもしなくても悪くなる一方の環境のなかで、ひとつひとつの選択肢が自分の、他人の生死を決めることになる。こういう決断主義の蔓延する中で、<力>を求める為政者が多く出現する。それらを巨悪と見なしてどう打ち負かすか、というヒロイックな側面を見つめるよりもむしろ、主人公の選択がどのように意図せざる結果を招くことになるのか、みたいな状況を見たい、と言ったら性が悪いのかな。

 

たまこラブストーリーを見てきた。知人の間では評判が良い。良い映画だった。
 「コンタクトなくしちゃった…」のセリフは、結構いろんな意味が込められているのかなと思った。コンタクトはコンタクトレンズのことでもあると同時に、もち蔵とのコンタクトのことも意味するのだろうし、同時にメガネをかけていた小学生の頃の記憶をさまよう端緒にもなっているのかもしれない。ちょっともう記憶があやふやだ。
 記憶をたぐり寄せた結果、もち蔵との因縁を思い出す。そしてあの糸電話も終盤のキーアイテムとなる。人の縁の基盤となるのが、なんだかんだでreproductionになってしまうのは少し悲しいかなと思った。商店街のあの人もこの人も、それなりに恋して愛して、あの不思議な共同体が出来上がっているのだということにたまこが気づいた時、ああ、この子もそういう役割を果たす頃に近づきつつあるのだ…と考えたら本当に苦い気分になる。そして、二人の恋があれだけ周囲の人にお膳立てされる形でようやく進むということにも、少し複雑な気分になる。(一番大きなお膳立てには、人の生き死にがかかっていた。さすがに殺しはしなかったけど…。世代交代の圧力を感じる…。)

 

(加筆(2017/1/7):元ブログでのタイトル「【不定期日報】2014/5/5(月)」)

 

 

 

20140502架空の日記

・生活のなかで、思いついたことや見聞きしたことを、なんとか形に残しておこうと、何か考えた時に思うのだけど、結局保存出来ずにどこかにいってしまう。自分にとってはそれほど大切なものではないのだろう。
 
・労働で、広報誌に載っている教職員の訃報記事をチェックすることがある。普通目にする訃報記事の構成は、①いついつ亡くなった ②経歴アレコレ(学歴・職歴・功績) ③哀悼の意 って感じなのだけど、今日目にしたものは、テンプレートとはだいぶかけ離れた訃報記事だった。
 まとめてしまえば、苦学と勤勉と大病の末に夭折してしまった職員に対して、同僚が(上記の三要素を含めた形でなおかつ)形式を超えた感情をその場に表していた。これは友情であり、悔恨であり、弔辞であり、恐らく、この氏の生きた証をなんとか残そうとした、そういう意図をとりあえず、こちらは汲むのである。日々の業務のなかで、教員はなるほど晴々しい活躍を見せるけれども、おそらく技官や助手やその他の補助業務に携わる者の、どの程度の活躍が目に見えるものになるのだろう。ある種の階層構造、分業構造になっている巨大な機構のなかで、互いにいたわりや優しさを、称賛を…そういうことを言いたいわけではなくて、とにかく形式ばった定型文で埋められていく哀悼の場で、どれだけ抑えようとしても抑え切れない失意の蠢きが、愛に他ならないのだと思った。

・宗教学の研究室にお邪魔したのだけど、そこに置いてあった本を一冊もらってきた。たまにこういうこともある。

 

(加筆(2017/1/7):元ブログでのタイトル「【不定期日報】2014/5/2(金)」)